別表神社
重文 若一王子神社
御祭神
伊弉冉尊 仁品王 妹耶姫 若一王子
由緒沿革
北アルプス山麓に広がる大町市に鎮座する本神社は、垂仁天皇の御代にこの地の守りとなった仁品王が伊弉冉尊を奉祀したのにはじまり、後にこの地を治めた仁科氏によって、祖先神である仁品王とその后妹耶姫が合祀され、嘉祥二年(八四九年)に創建されたと伝えられています。降って鎌倉時代初期に、仁科盛遠宿禰が熊野権現(熊野那智大社)の第五殿に祀る「若一王子」を勧請してより、若一王子の宮と称されるようになりました。
現在の本殿は戦国末期の弘治二年(一五五六年)に仁科盛康によって造営され、天正十年(一五八二年)に仁科家が滅びてより、松本城主の崇敬篤く江戸初期の承応三年(一六五四年)に水野出羽守源忠職が仁科の里六十六郷をして、宮大工金原周防により社殿の大改修がなされ、地方色豊かな地域の大社としての風格を備え、重要文化財の指定を受けております。
本殿
境内には宝永三年(一七〇六年)に建立された観音堂(市文化財)と、宝永八年(一七一一年)に建立された三重の塔(県宝)が渾然一体となって立ち、神仏習合の姿を当時そのままに残しております。
観音堂は、江戸時代に大町地方に設定された仁科三十三番札所の一番になっている。
観音堂
三重の塔
昭和六年に県社に昇格、昭和五十一年に別表神社に加列され、名実共に仁科の里の大社として歴史と伝統を今に伝えています。
例祭 七月十七日
例祭奉祝祭 七月第四日曜日
流鏑馬神事(県無形民俗文化財)
舞台行事
長野県天然記念物
若一王子神社社叢 指定日 昭和四〇年四月三〇日
指定面積 二二.八六七平方メートル
若一王子神社を囲み、うっそうと茂る美林である。そのほとんどが、スギ、ヒノキ、ツガ、イチイなどの常緑針葉樹から構成されているが、サクラ、カエデ、ケヤキなどの落葉広葉樹も含まれている。
広葉樹は光を求めて林の外側にはみ出しており、上態学的に注目される。
針葉樹のなかではスギの成育が目立つ。かつては、社殿周辺に幹囲が六メートルを越えるものもあったが、周辺環境の変化により何本かが枯死した。それでも幹囲が三メートル以上のものを何本か数えることができ、社叢全体としては美しいスギの純林の様相を呈している。
天然林ではないが、平坦地の真中にこれだけの大面積の針葉樹の純林が見られるのは珍しく、貴重な資料である。
若一王子祭(2017/07/23-24)