竃神社
祭神 軻遇突智命、奥津彦命、奥津姫命
例祭日 前夜祭 例大祭前夜
例大祭 九月第二日曜日
由緒
当神社は、荒神様と呼ばれて親しまれていた三宝荒神社である。明治のはじめに竃神社と改められた。鎌倉時代後期ごろ、仁科氏が今の天正寺の地に居城を構えたとき、御館・御所の北東(丑寅=良)の方向に創祀された。
三宝荒神は、屋敷・地域・農耕の守護をする荒ぶる神で、不浄を忌み火を防ぐと言う信仰から那悪の神が出入りする鬼門の方角に祀られる鬼門除けの神でもある。囲炉裏や竈など火所にも祀られた。
仁科氏滅亡後は、北原町住民によって護られてきた。明治になり王子神社とともに大町の産土神とされる。
例祭に催れる奉納相撲は由緒深く、安政年間に於いて相撲土俵免許状を有するは信濃国にては当社と更埴八幡の武水別神社のみとされ、現在も奉納花火とともに例祭行事として盛大に催され多くの人々より親しまれている。
仁科天満宮
祭神 菅原道真公
例祭日 七月二十二日由緒
創建年月日不詳なれども、京都北野天満宮より現弾誓寺付近(天神原地籍)に勧請され、更に神社合併が盛んに行はれた明治三十七年竃神社境内に御遷座され、竃神社の別宮として崇敬篤い。
天満宮信仰
菅原道真公をお祀りした神社のことを天神社・天満宮と云うのは、菅公の神霊に天満大自在天神、略して天満・天神の神号を賜ったことによるものである。菅公が人格神として文章道の家計に出で、経史詩歌に通じたところから文道の祖神として崇敬されたのである。
至誠一貰の人として天を恨まず、人を恨まなかった態度は処世の勅言として後人の範とされている。