鹿嶋神社
御祭神 武甕槌神(たけみかづちのかみ)
雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されており、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。
鯰絵では、要石に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている。
由緒
大同二年(八〇七年)「たいら川」の氾濫に里人が天地の保護神として常陸国鹿島神社に分霊を奉じて勧請し、あわせて丑寅に息柄神社、辰巳の方角に鹿嶋神社を祀った。鹿嶋神社の神徳が広大であったため、里人の集落を「鹿嶋」と改称し、「たいら川」を「鹿島川」、「鶴ヶ岳」を「鹿嶋槍ヶ岳」と改称した。
弘化四年(一八四七年)旧三月二十四日に大地震があり、各地で大災害があったが、当神社氏子には少しの災害もなく、平静であった。神徳の偉大なることを顕現され御加護を仰がんとする人々が列し、一里余に亘り、参拝した。
大正七年一一月の大町地震のときも平静であった。それにより、一般の参拝も多く、現在に至る。
昭和十七年(一九四二年)十二月村社に列せられる。
本殿の制作年代は不明であるが、一間社、流れ造り、屋根がこけら葺きで、彫刻が優れており唐獅子木鼻の特徴から江戸時代後期にこの地方で活躍した宮大工の浅川豊八の作と推定されている。