猿ヶ城 烽火台 戦国時代の豪族は、本城との連絡や、将兵の行動を自由にするため、系統ある「のろし台」をつくりました。この地方の豪族仁科氏も小岩岳城(穂高町有明)、西山城山(大町市常盤)、南城及び北城(いずれも大町市社館の内)、三日市場城(白馬村三日市場)等と火急な場合遠隔地との通信連絡用に、この猿ヶ城にのろし台を設けたものです。ここにはかつて小さな郭や水の手もあり、四ヶ庄平(白馬村神城)などはるかに見はらすことができます。