史跡 猿ヶ城跡 この山城は、標高1200Mにあり、古くから猿ヶ城といわれ、戦国時代には火急の際に一族郎党が立てこもる詰の城の役目を果したといわれる。防御のために山頂や尾根を削って、平地にした曲輪(くるわ)の遺構がいくつもある。また、尾根すじを横に掘り割った横堀りと斜面を縦に掘った縦堀の遺構も残っている。 また、上部の見通しのよい場所には、周辺の山に配置されていた砦や物見との連絡用の烽火(のろし)台が設けられていた。