鷹狩風穴
本鷹狩風穴は、五日町の百瀬仲三郎氏が、明治三八年蚕の卵の孵化調整を目途に建設した、長野県風穴取り締まり規則に準拠したものである。
当時全国には、風穴は弐百十七あり長野県には完成したものは九四あったとされるが、風のでないもの(偽風穴)がかなりあったと伝えられており、県内風穴業者は五十名、北安曇は四名であったその一つである。
明治期の文献より大町の三大風穴の地域貢献を知り、(海の口風穴、源汲風穴、鷹狩風穴)調査結果から後数年で埋没すると判断し各方面に復元の呼びかけをしたが応ずる方はなく、市民が立案した平成の合併記念事業として八坂区九名、大町区七名で計画、地権者百瀬武仁氏の深いご理解と、長野県、大町市、大成建設自然歴史環境基金様、丸山悦代氏の助成をいただき百年余の後世まで保存できるよう大町大信建設、大町丸山工務店の協力で忠実に設計、施工復元したものである。明治期、冷蔵庫がなかった時代、本風穴の温度湿度が理想の天然冷蔵庫を利用した、山岳文化都市大町の誇れる近代史跡である。大正年代十六万二千余戸の農家が養蚕に携わり県民百万人の経済を支えた。養蚕信州の山村文化の原流として永く後世に伝達するものである。