◆西山城址 朝日登り口(松川村(その他))
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西山城跡
現在地の上方、大洞山から東にのびる尾根に築かれていた中世の山城が西山城で城がまえのあとがよく残り、昔のようすをしのぶことができる。
百曲りを登りつめた尾根の先が三の曲輪、そこから二〇〇メートルほど西にいったところのピークが二の曲輪、深い空壕をこえてさらに北西にむかって八〇〇メートルほど登ったところの標高八七〇メートルの峰が城の中心である一の曲輪である。三つの曲輪はそれぞれさらに小さな曲輪や、細長く取り巻くかたちの帯曲輪、空壕などでかためている壮大堅個、仁科氏の直領であった大町地方の南の備えとしてまことにふさわしい。
三の曲輪
二の曲輪
一の曲輪
この城の城主には仁科氏配下の矢口氏であり、室町時代の記録に備後守知光、同則知などの名をとどめる。西山集落にはその館跡や菩提寺であった松庵寺のあと、矢口氏の墓と伝える五輪塔などもある。
西山城は戦国時代末期仁科氏の滅亡とともにその使命を終え廃絶したと考えられる。